自分の心が少し持ち直した頃から,宮城,岩手,福島の被災地に何度も出向きました。
初めて行ったのは,瓦礫や確認済みの赤バツ印のついた車が至る所にある頃でした。
学校での防災教育につなげるつもりで写真や動画を撮りました。
しかし,しばらくすると罪悪感のような思いにかられ,撮るのをやめました。
その後,大型車両が行き交い,粉塵が舞い,行くたびに光景が変わっていきました。
いろいろな方と出会い,お話もうかがいました。
昨年の3月11日の午後。
私は宮城県の被災したある小学校に行きました。
子どもと先生84名が犠牲になった学校。
今も4名の子どもが行方不明です。
あるきっかけがあり保護者遺族や裁判を担当した弁護士と知り合いになりました。
「3月11日のその時刻にその場所に立つ」ことの意味が自分の中で大きくなり,昨年出かけました。
新型コロナのために,これまで実施してきた慰霊活動は行われませんでした。
風がある曇り空の寒い日でした。
遺族の方の案内で立ち入りが規制されている校舎に入りました。
2階から津波の来た方角を見ながらその時刻を迎えました。
何度も出向くこの学校や被災地。
忘れられない避難所開設に携わった私には,「命」について自分を問い直す場所になっています。
子どもの育ちにかかわる仕事をしています。
身体の命,心の命。
大人には子どもの命と向き合っていく責任があると思っています。
3.11③責任
・・・業務に関するフランクな話題や感じたこと