まもなく3月11日。
東日本大震災が発生した日です。
10年前,私は小学校に勤務していました。
金曜日のその時刻,すべての子どもは下校した後でした。
災害時の避難場所に指定されていたその学校は,山を背負い海から直線で200m,海抜17m。
まもなく住民や近くに勤務する銀行員の方々などが避難してきました。
「15:20 体育館 子ども16 高校生1 大人1」
「16:40 大人29 子ども18」
「18:50 計40 うち男6 足の悪い方1」
いつもワイシャツの胸ポケットに入れていたA6サイズのノートにメモした避難状況です。
最大で70数名,うち24名の方が学校に泊まりました。
基本的に体育館。
でも床に横になることができなかったり,失禁を心配したりする高齢者の方。
暖をとれない消防団の方々。
考えるというより,必要と思うことに反応するように何でもやっていきました。
臨機応変に対応することが当然と受け止め慌ただしく動いた職員,今でも誇りに思います。
翌日の午前1時までに職員や教頭は勤務解除。
その後,学校職員は私一人になりました。
「電車が行方不明」その時点では,理解できない情報も報道されていました。
止まらない緊急地震速報の音。
「とんでもないことが起こった」という実感だけが心に繰り返し迫ってきました。
避難所閉鎖は土曜日の午後1時。
24時間にも満たない避難所開設,ヘトヘトに疲れました。
被災地の避難所となった学校関係者,10年たった今でもそのご苦労は実感できていません。
3.11①あの日
・・・業務に関するフランクな話題や感じたこと