全国紙の投稿欄で見かけました。
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「私の人生 誰のものなのだろう」
アラサーになり,友人から結婚や出産の報告を受けることが増えた。一方で,私は結婚の約束をしている人がいるものの,もう諦めるつもりだ。なぜなら‥。
私の母には障害がある。私は幼い頃からずっと1人で面倒を見てきた。いわゆるヤングケアラーだった。母は自分の障害を認めず,「恥ずかしい」「みっともない」と行政や福祉の支援を受けようとしなかった。ここ数年でようやく折れたものの,いまだにヘルパーさんらに頼ることを恥じている。そしてその分,負担や依存は私にのしかかる。
恋人のことは好きだ。こんなにいとしい人にはきっと二度と出会えない。でもだからこそ,普通の家庭で生きてきた彼に,私と同じ負担をかけたくない。愛しているから別れるしかないだろう。そして「私の人生は親のもの」だと言い聞かせて,生きていくしかないのだろう。
母が平均寿命の年齢になるまで,あと30年ほど。そのころ私は60歳近い。それからの人生にはあまり希望が持てない。母と過ごした部屋で孤独死するだけなのかもしれない。私の人生は誰のものなのだろう。私自身にも分からない。
(29歳・会社員)
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「ヤングケアラー」という言葉は多くの方に周知されてきました。
でもその実像はあまり知られていないのではないでしょうか。
言葉が一人歩きしている感さえあります。
ともすると支援や相談に携わる者のなかにも,この言葉を評論家的に使う場面に遭遇することさえあります。
今はもちろん,生涯を通じた「生きづらさ」にしっかり目を向けていく必要を感じます。
難しいことだけれども‥。
私の人生 誰のものなのだろう
・・・業務に関するフランクな話題や感じたこと