震災が起きた夜,「列車が行方不明」という信じられない報道がありました。
長い松林がきれいで,学生時代に何度も行った地区でした。
震災後に初めて訪れた時に松林が無くなっていることに言葉を失いました。
今回,海岸は頑強に整備されていました。
鉄道の線路は高台に移設され,当時の駅のホームが震災遺構に,駅舎が震災復興伝承館になっていました。
記憶にある特徴的な形そのままの駅舎です。
受付の女性に話を聞きました。
「もう12年も経つんだね。松を植樹していて50年後にはまた元のような景色になるだってよ。生きてるかしらね」
「もう」という言葉をどう受け止めていいか戸惑いました。
海岸沿いの中学校は津波の直撃を受け,初めて訪れた時には被災したままの姿でした。
行くたびに解体や周辺の整地が進み,今は周囲に何もない学校のあった地に校歌の記念碑だけが立っていました。
女性,そのお子さんもこの学校の卒業生だそうです。
学校は,地区の別の中学校の校舎を使い授業を再開,その後統合しました。
校名に使われた「未来」という言葉に思いを感じました。
統合された学校は新たな地に移り立派な校舎が建っていました。
岩手・宮城・福島④
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