在校していたほとんどの子どもや先生方が犠牲になった小学校。
この学校に何回出向いたか覚えていません。
少しずつ周囲の光景も変わってきていました。
震災遺構として整備されていました。
当初の頃の光景とは様変わりしていて,正直,違和感を覚えました。
話を聞くと,遺族の方々の受け止めはさまざまで今でも学校に足を運べない方もいらっしゃるそうです。
遺族の方が起こした裁判のドキュメンタリー映画「生きる」のテーマソングがあります。
『駆けて来てよ』
担当した弁護士の一人がつくりました。
美しく優しく,そしてとても重く感じる調べです。
聞いていて切なく苦しくもなります。
映画のタイトルの意味を改めて感じる曲です。
「この曲に謝意を表する方もいれば,聞くことができない方もいる」
映画監督の話です。
私はこの学校の駐車場の車内で聞くことができませんでした。
この市には,津波に襲われ津波火災で学校が全焼したにもかかわらず在校する全員の子ども達が避難した小学校があります。
この学校も震災遺構として昨年から公開されていました。
岩手・宮城・福島③
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