北海道の岬の近くにある墓地に「育児墓」と刻まれた小さな墓碑がありました。
観光で歩いていたときに偶然に見たものです。
隣にたつ碑に次のような説明がありました。
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明治初年,函館に槇山淳道なる医者の主唱で杉浦嘉七などが資金を出し合い,窮民の子や捨て子の面倒をみる「育児講」なるものをつくった。
この墓は,当時の育児講での養育中に亡くなった子供たちの墓といわれている。
育児講は後に育児会社となり,その系統は慈恵院から厚生院に発展した。
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現在では,児童養護施設や乳児院と呼ばれる児童福祉施設の先駆け的な取組だったのでしょうか。
各地で様々な思いや尽力があってつくりあげられてきたことを感じました。
育児墓・育児講
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