映画は,学校で多くの子どもの命が奪われたことの「なぜ」を取り上げています。
「最も安全であるべき学校」「先生の言うことを聞いていたのに」「学校が子どもの命の最後の場所であってはならない」,心に刺さります。
このできごとは巨大自然災害のなかで起こりました。
そのようななかでも学校は子どもの命を守り切る力を貪欲に求める立場にあると以前から思っています。
一方,自然災害でなくても子どもの心の命と身体の命が脅かされるできごとは,残念ながら日常的にしかも全国的に起き続けています。
社会全体で起き続けています。
親による不適切な養育,大人による暴言や暴力,子どもの人権侵害,いじめや体罰などなど。
大人の「常識」や都合,もっと言えば大人の立場を守るために起き続けているような気がします。
子どもの心の命は,身体の命と同様に守られていかねばなりません。
子どもにかかわるすべての大人が,その役割を果たす立場にいます。
「子どもの心身の命を大人が守らなくて誰が守るんだ」
「自分たちの身近には,危うい命がたくさんある」
「万が一,守れなかったり脅かしたりしたときに「なぜ」を隠す大人であってはならない」
今回の映画が私に訴えてきたものです。
『生きる』②
・・・業務に関するフランクな話題や感じたこと